1.見知らぬ世界と人々について
私が子供の頃、家で小さなレストランをしていた私のパパとママは、帰ればおいしいラザニアを作って待っていてくれたけど、夜はいつも遅くまで働いていたから、おやすみを言うのは決まって私が眠った後だった。
一階がお店で、二階に私たち家族の部屋。私ベルダと兄のユエンは、下のお店から聞えてくるお客さんの笑い声を遠くに聞きながら、ベッドの中でたくさんの話をしたわ。もっと詳しく言えば、子供の頃の兄は違う世界への行き方を知っていて、その世界で起きた出来事を、特別に私に話してくれたの。それはそう、誰にも喋ってはならないこと。秘密なの。だから、皆も今日兄が話す事は、誰にも言っちゃだめなのよ。
―見知らぬ世界と人々について―
それは、学校から少し歩いたところにある林の中で、ベルタにあげるドングリを拾ってた時に出会った世界の話だよ。世界の扉はね、いつも歌を歌っているんだ。
『君と誰かを繋ぐ、僕は世界の扉。あの子の声が聞こえるかい?僕の歌声は?この声が聞こえたのなら、応えておくれ。僕は君が見つけてくれるのを待っている』って。
扉は伸びのある軽やかな声で歌うんだ。僕がそれに気づいた時、扉はもう僕のすぐ後ろに居て、僕を見つけると嬉しそうに「ハーイ!」と言うんだ。どこから声を出しているのかは分からない。だって普通の扉と同じか、そうだね。少し立派なぐらいで、何も特別なものではないんだ。
だけど、その扉は僕の前にやって来た。僕はもう慣れっこだよ。澄ました顔でこう言ったさ。
「君とは……初めましてだったかな?」
「これはこれは、素敵な坊ちゃん。初めまして。ドングリはキラキラ光る。あちらの世界が、それを欲しがっている。ちょっとこの扉の向こう側に来てはくれないかい?」
「このドングリは妹にあげるものだからダメだよ」
「でも!でもでも!ドングリはこの林のあちこちにあるんだろう?それを少し分けて欲しいのさ!」
「なら君が拾ってあげればいい」
僕は知ってる。扉はね、冷たくされるとそれこそベルタみたいにしつこくなるんだ。ふふふ。扉は僕が思った通り、去ろうとした僕の前に回りこんできて、「この僕のどこに手があるんだい?僕はただの扉なんだよ!」って言うんだ。だから僕は笑いながらこう言った。
「あはは!足もないのに歩ける扉は君だろう?口もないのに喋れるのは……?ふふっ!きっとドングリだってあっさり集められる!」
「ああもう!意地悪は無しだよ坊ちゃん!お願いだ!君が持っているキラキラ光るその素敵なドングリを、あの子に渡してあげて欲しいんだ!」
扉は泣いたりしないけど、扉が今にも泣きそうなのが分かったから……そうそう。こないだのベルタみたいにね?だから僕はにっこり笑って「しょうがないなあ」って言って、ズボンのポケットにドングリをしまってから扉を開けた。少し開いた扉からは、嗅いだことのない匂いの風か吹いてきたよ。甘いような、スパイシーさを感じるような、不思議な匂いだった。そして扉はこう言ったんだ。
「素敵な世界へようこそ!」って!
扉の向こう側にあった世界は、僕らが今居る世界とはいろいろ違ってた。僕がさっきまで居たような林に僕は居たんだけど、ふと上を見ると沢山の目があったんだ。僕は心底驚いたよ。今回はずいぶん怖い世界じゃないかって。全然素敵な世界じゃないよって思ったし、扉に意地悪をしすぎたんだっても思ったよ。だけど勇気を出してその目をそれぞれよく見ると、そのどれもが優しく僕を見つめていたんだ。おばあちゃんやおじいちゃんみたいにね。そして僕はその世界が暗がりだったことに、やっと気づくんだ。そのたくさんの目は、木の枝に腰かけていた妖精たちだった。暗がりは僕に見られないために、妖精がしかけた魔法みたいなものだったんだ。僕が信頼出来る者なのかを、見て知りたかったのかもしれない。
あの中にはもしかしたらエルフなんかも混じっていたかもしれないし、魔女も居たかもしれない。とにかく、好奇心に満ちた目で僕を見ているんだ。たくさんの、僕よりも小さな存在が。僕はしばらく上を見ていたおかげで首が痛くなって、そろそろ下をみようかと思ったんだけど、みんなが僕を見てる。僕は少しおどけたフリをして、「やあ」と言うのが精いっぱいだったよ。いつも、扉の向こう側には誰かしら居るものだけど、あんなに居たのは初めてだったからね。僕は少し興奮して、緊張もしていた。
「ようこそユエン。扉を開けてくれてありがとう」
そして僕がどうしたもんかと思っていると、木から降りてきた一人の男の子が僕の足元にやって来てにっこりと笑みを浮かべた。だから僕はしゃがんで、彼が差し出した小さな手をそっと握ったんだ。彼は青白い皮膚をしていた。瞳の色は、黒っぽかったけど、その大きな瞳の中では、時々花火や流れ星みたいに何かの色が爆ぜているように見えた。優しい眼差しだったよ。
そして彼は「僕らは、キラキラ光るものを集めていて、そのためにあちこちの世界と時々こうして繋がるんだ。扉が探し出したのは君。君はどんなキラキラを持っているの?」と聞いてきた。
僕は素直にポケットの中からドングリを取り出した。何かしたら、ひどい魔法をかけてきそうな、どこか神秘的でありながらも緊張させられた世界だったからね。僕は礼儀正しくあることにしたのさ。
僕が差し出したドングリを見ると、彼は大きな瞳にそれをよく近づけていた。そのまま、その大きな瞳がドングリを吸い込んでしまうんじゃないかとも思ったよ。
「この茶色いのにキラキラしてる不思議なものはなんだい?小さいけど冷たくて気持ちいい。匂いはなんだかわずかにするぐらいだけど、なんだか優しくて懐かしい感じ。なんなんだいこれは?」
「それはドングリっていうんだ。植物の果実だよ。昔の人はこれを食べてたみたいだけど。今は子供が拾って遊ぶぐらい。あ、リスは今でも食べるか」
「リスってなんだい?昔って?どうして今は食べないの?」
僕は世界が違うっていう事は、時々やっかいな事でもあるという事をよく知っている。僕はうまく説明できないのをごまかすために、「それらはキラキラしていないから、知らなくてもいいんじゃないかな」と言った。すると、彼は「そっか。じゃあいいや」と答えると、近寄って来た他の仲間にもドングリを見せてあげていた。
「ありがとう。僕らはキラキラしているものが大好きなんだ。このドングリも、とても気に入ったよ。ありがとう。ああ、扉が君を元の世界に戻したいみたい。なんでも、君を探す声がするようだ。お兄ちゃん、お兄ちゃんって」
「ああ、ベルタだ。きっとママに言われて僕を探しに来たんだ」
「そうだ、僕からお返しをあげよう」
彼が手渡してきたのは、小さな石だった。それはキラキラしていなかったけど、パパがママにあげたブローチによく似てた。そうそう。大事なお客様を招く時には、いつも必ずママが胸元につけてるやつ。あんな感じの石だった。
「これは愛っていうものを、形にしたものらしい。僕らにはよく分からないけれど、君には分かるかな?」
彼の言葉に、僕は肩をすくめてから「あと五年もすればね」と言い、その小さな石をもらった。
「ありがとう」
僕がそう言うと、木から僕を見下ろしていた沢山の妖精たちは、僕に向かって手を振ってきた。僕もそれに手を振り返した。そして気付いたら目の前に居た扉を開いて、戻って来たんだ。そして振り返ると、扉はまだそこに居たんだ。いつもは振り返ると居ないのにって、そう思って聞いてみたんだ。もちろん、まず謝ったよ。ちょっと、意地悪だったからね。
「さっきはごめんね。それで?どうしたの?」
「僕は君が羨ましいんだ。僕は今まで、この扉の向こうに居る彼らのために、キラキラを持っている沢山の人を見つけてきたけど、君たちみたいにお礼をしてもらったことなんて一度もないんだ……羨ましい」
その時、僕は気づいて笑みを零した。扉のドアノブの所には、僕が貰った石と同じ大きさのくぼみがあったんだ。そこにこの石をはめ込んだら、扉はきっと今より素敵に見えるって、僕にはすぐ分かったんだ。
「これは……お礼というよりお詫びかな。君の向こう側に居る人からの貰い物だけど。どうか、受け取って」
僕はそれを少し強い力ではめ込んであげた。扉には手がないからね。足がなくても歩けるし、口がなくても喋る彼だけど。
「ありがとう。ありがとう……大切にするよ。ありがとう。じゃあ!またね!」
その時、夕日が何かに反射して一瞬目がくらんだんだ。それは僕が扉にあげたあの石かもしれないんだけど。とにかく、その一瞬で扉はどこかへ消えてしまった。そして僕がドングリ集めを再開しようとした所に、ベルタが来たんだよ。後五分で帰らないと、ママが!ママが鬼になるわよ!ってね。ははは。
惜しかったね。あと少し早く僕を見つけていたら、あの石、ベルダのものだったかもしれないのに。って、僕がそう言おうと思ったのに、聞こえてきたのはベルタの寝息だった。だから僕もベッドの中に潜り込んで、あの扉は今頃どこにいるのだろうなんて、そう思いながら眠りに着いたんだ。
おしまい。