2.不思議なお話
鶯が遠くで鳴いていたし、私が必死に集めていたのが落ちた桜の花びらだったから、季節は春。覚えている景色や音の記憶は鮮やかでありながら、記憶そのものに関しては夢のような不確かさを感じる。それはやはり、あれが夢の出来事だったからなのだろうか。でも、あれは夢などではないのだ。ただ、そう。少し、特別だっただけ。
―不思議なお話―
約束をしていた。お昼を食べたら、奈々子ちゃんの家に遊びに行くことを。ただし、それ以外にも約束があった。家に咲く椿の花をいくつかと、奈々子ちゃん家へ向かう途中にある神社で、桜の花びらを拾っていく事。そのどちらも、既に地面に落ちた花だけというのが、以前にお母さんとした約束で決まっているので、私は落ちた花びらを集める。
昼食を食べ終えた私は、お母さんがもう使わなくなったというザルを持って庭に出た。庭には赤とピンクの花をそれぞれつける二本の椿の木があり、この時には椿はもう見ごろが終わって居て、地面にはいくつも椿の花が落ちていた。花びらは既に茶色に変色し始めているものもあるが、綺麗なものもいくつかあったので、それだけを選んでザルに入れていった。
「じゃあ、行ってきます」
「車に気をつけてね」
「うん!」
綺麗な椿の花が手に入ったと、満足した私は家を出て神社へと向かった。その神社は住宅街の外れにある神社で、夏にはお祭りが行われたりして賑わうこともあるが、普段は人影もほとんどない神社だ。手入れだけは町内会の人たちがきちんとしているが、春も賑わうのは町内会で行われるお花見の会の時ぐらいで、見ごろも過ぎだした今日は、やはりいつものように人は居なかった。
鳥居をくぐり、社に向かって手を合わせ頭を下げ、心の中で「こんにちは」と言ってから桜の元へと向かった。神社は神様のお家なので、こうしないと怖い目に合うとお母さんに聞いたことがある。その、怖い目というのがなんだかとっても恐ろしくて、私は急いで拾おうと、背の高い八重桜の根元に散らばる桜の花を集めていった。そのほとんどが一枚一枚に散っていったものだが、中には咲いた状態の形のまま落ちているものがある。私はそれだけを選んで次々とザルにいれていった。八重桜の葉の隙間から、日の光が差し込んでいた。少し暑かった。暑いなあと、感じたその後、私の名を呼ぶ声があった。
「ゆかりちゃーん!」
その声の主は奈々子ちゃんだった。奈々子ちゃんは鳥居の所で右手を大きく左右に振って、私が奈々子ちゃんに気づいて立ち上がると、彼女はこちらに駆け寄ってきて、突然両手を合わせると「ごめん!急に家族で出かけなきゃいけなくなっちゃったの!さっきお家に電話したらもう出たって言われて、だからここかなって」とそう言い、私がザルいっぱいの花たちを持っているのを見ると、また申し訳なさそうに「ほんとごめんね!」と謝った。
「ううん。しょうがないよ」
神社の前の道路には白のワゴン車が停まっていて、助手席に奈々子ちゃんのお母さんが座っているのが見えた。私は奈々子ちゃんのお母さんと目が合ったので軽く頭を下げ、「また今度ね!」と言って笑みを浮かべた。それに奈々子ちゃんは「うん!じゃあね!」と言うと、走って車へと戻っていった。奈々子ちゃんを乗せた車はすぐに走り出し、私は「これからどうしよう」と、ぼんやりこぼした。
視線の先には、椿と桜の花でいっぱいのザル。わあっとひっくり返して家に帰ってしまうのもアリだが、私はザルを持ったまま神社を出て、家に帰ることにした。もしかしたら、お母さんが一緒に遊んでくれるかもしれない。
「あれ、誰だろ」
家へ帰る途中、小さな公園のベンチに見慣れない女の子が座っているのが見えた。私がじっとその女の子を見つめると、女の子は私に気づいたようで私を見つめ返した。肩にかかる位の長さの髪の毛が、さらさらと風に揺れていた。女の子は春らしくピンクのワンピースを着ていた。可愛い子だなぁと、そう思って近づいてみた。普段、知らない大人には気をつけなさいとよく言われているが、知らない子供とは仲良くしなさいと言われるのが常だった。だから、警戒なんてしていなかった。笑顔を浮かべもしないが、感じが悪いとも思えなかったその子の所まで行き、「何してるの?」と聞いた。風が、優しく私の頬を撫でた。
「なんにもしてないよ」
女の子はそう答えると、何かを考えているような顔付きで数秒固まった後、隣に座る様に手でベンチを叩いた。それに私は素直に従い、女の子との間にザルを置いた。
「これどうしたの?お花いっぱい」
「これは椿と桜。あ、大丈夫だよ?これは落ちてるのを拾ったの。摘んだりしてないからね」
「うん」
うん。と言った女の子の口ぶりはまるで、そんな事は知っているよ、とでも言いたげで、今思えばそれも少し不思議だけど、私は特に気に留めずに、花を集めた理由を話した。
「友達とね、お花でご飯を作る遊びをしようとしてたの」
「ご飯?これ、食べれないよ?」
「食べるんじゃなくて……なんて言うの?ご飯のマネ?」
「……おままごとでするやつだ?」
「そう!そういう感じ!」
私がそう言うと、女の子は少し嬉しそうに微笑んで「楽しそうだね」と言った。それに私は「でもね、一緒に遊ぶ友達が急に出かけちゃうことになったの。だから……もしこの後ヒマなら、一緒に遊ばない?」と聞いた。それに女の子は「遊ぶ!」と迷わず答えてくれた。私はそれに喜んで、「ほんと!?嬉しい!」と飛びあがりたい気持ちでそう言い、「この上の少し大きな公園行ったことある?そこに行けばテーブルがあるからそこでやろう!」と続け、女の子の手を取って歩き始めた。
「私、井口ゆかりっていうの。あなたは?」
「私はオキナ」
「オキナちゃんっていうんだ。何年生?」
「ゆかりは?」
「一年生だよ」
「一緒!」
「そうなの?でも学校で会ったことないよね?」
「うん。違う学校なんだと思う。」
「この町の子じゃないの?」
「ううん。そうだけど、違うの」
「む、むずかしいんだねぇ」
オキナちゃんとのやり取りは曖昧だったけど、私は違和感を覚えたりしなかった。これから誰かと遊べるという嬉しさの方がこの時は何よりで、オキナちゃんの冷たい手の平が少し心地よかった。
私たちは公園の奥にある東屋に行き、テーブルを挟んで向かい合わせに座った。テーブルの真ん中にまずザルを置き、「まずお皿の代わりに石を集めるんだけど、此間も同じようにしたから、石はもう茂みに隠してあるんだ」と言い、東屋の近くにあるツツジの小さな茂みの下から以前集めた小石をオキナちゃんとテーブルまで運び、小石を使って横長の円を作った。この中に、お花を飾っていき、ご飯のようなものを作っていく。
「使っていいのはこのザルの中の花だけ?」
「ううん。公園のお花とかもいいけど、まだ生えてるのは使っちゃだめなの。ここのおじさんたちに怒られちゃうから」
東屋から少し離れた所にある白い建物を私は指さした。あそこに、この公園を管理するおじさんたちがいるのだ。
私の言葉に、オキナちゃんは「そうなんだ。落ちてるのならいいのね」と言うと、イスから降りて東屋を出て行った。私はとりあえずピンクの八重咲きの椿を手に取り、一番綺麗なのはそのまま使おうと皿の右端に置き、少し痛んでいるものはちぎって花びらにしていき、円の真ん中を区切る様に並べていった。花びらはしっとりとしていて触り心地がよくて、本当にこれをおやつ代わりに食べられたらいいのにと、お昼ご飯を食べてまだあまり時間が経っていないけどそんな事を思った。
「お花を食べれたらいいのに」
「食べられる花もあるでしょ。蜜を吸える花だってあるし」
「わっ、びっくりした。おかえり。オキナちゃん」
オキナちゃんは五つほど松ぼっくりを持って帰って来た。どれも形や色は綺麗でそのまま飾りに使えそうなぐらいだった。オキナちゃんはそれをそのまま二つ、皿の中に並べた。
「これは、松ぼっくりのパン!」
「おー」
「あとこれ使ってもいいよ」
「ありがとう」
オキナちゃんはザルの隣に松ぼっくりを並べてくれた。
こんなパンがあったら、小さくちぎっては食べ、ちぎっては食べになるのかな。硬めのパンで、香ばしくておいしそう。と、そんな事を思いながら私は八重桜を左側に並べていき、まるで一つの大きな花に見えるように何とか形づくっていった。
「上手だね」
「何回かやってるから……でもこれね、ほら。途中でバラバラになっちゃうの」
「そういう時はこうだよ」
私の手の中で、花の形が崩れバラバラの花びらになってしまった桜を、オキナちゃんは両手で受け取ると、手を少し上げ、ぱらぱらとお皿に振りかけた。その、一瞬の桜の花びらが舞った時の光景に、私はなんとも言えない美しさを感じたのだ。上手く言えないけれど、なんだか、とても尊くて美しいものを見たように感じたのだ。私は今見た、たったの一瞬の出来事はなんだったのだろうと、そのまま花びらが舞い降りたお皿を見つめた。
そんな私を見て、オキナちゃんは「ごめん。勝手なことしちゃった」と申し訳なさそうに私を見た。それに私は急いで首を左右に振り、「違うの!今、オキナちゃんがこう、手でひらひらってやった時ね、なんか……魔法?魔法……みたいな。何か……なんだろう。上手く言えない。でも、すごかったの!」と、少し興奮してそう言った。
「……もしかして今、ゆかりちゃんには桜の妖精が踊るのが見えたのかも」
「よ……妖精?」
「うん……信じなくてもいいけどね」
「ううん、信じる!」
少し俯いたオキナちゃんを真っ直ぐ見つめて、私はそう返した。なんだか、優しく風が吹いたような気もしたし、桜の花びら一枚一枚が、柔らかい光を放ったようにも見えた。とても不思議な一瞬だった。
「光と色ってね、みんな同じに見える訳じゃないんだって」
「そうなの?」
「うん。だから、今ゆかりちゃんに桜の妖精が踊るのが見えたのは、きっとゆかりちゃんが特別だからなんだと思うよ。同じものを同じように見せても、今ゆかりちゃんが見たものはゆかりちゃんにしか見えないの」
オキナちゃんがそう言った瞬間、ざぁっと少し強い風が吹いて東屋の周りの木々を揺らし、そして皿の中から花びらをも攫って行ってしまった。
「わぁ」
声は何かに吸い込まれたようだった。この景色は全部、私にしか見えていないの?どこかへ何かを誘うように、また強い風が吹いた。風が、見えたような気がした。どこか、どこかへ向かって行く美しい誰かの姿が、見えた気がした。そんな何かに見とれていたから、私は気が付かなかったんだ。
「すごい風だったね!……あれ?」
オキナちゃんは突然、姿を消してしまった。風の音はすごかったけど、目の前から人が動けば気付くはずなのに。分からなかった。数秒途方に暮れたあと、困惑した私からは少し引きつった笑い声が出た。人が突然消えるはずがないのに。夢を見ていた訳でもない。彼女が私の向かい側の席に座っていたのは、テーブルに残ったふたつの石のお皿があるので、それは確かだ。
突然の事にどうしたものかと少しの間戸惑った後、私はオキナちゃんが拾ってくれた松ぼっくりをザルに入れて家へと帰った。オキナちゃんに会ったことは誰にも話さなかった。オキナちゃんが見せてくれたあの一瞬を忘れないでいるためには、ずっと私の中に閉じ込めておかなきゃいけないと、そう思ったから。
おしまい。