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お話を載せるブログです

4.おねだり

 

 

 僕の両親は僕が四歳の時に離婚した。僕の記憶はおぼろげなのだが、五歳頃から数か月に一度の割合で、離れて暮らす事になった父に会いに行っていた。僕は母と母の実家があるY県で暮していたが、父は仕事の関係もあって隣県のM県に住んでいた。父の元へは高速バスで向かった。バスに乗るまでは母がついていてくれて、バスを降りるとバス停で父が僕を待っていてくれた。小さなリュックサックの中には、いつもは強請ってもお菓子をあまり買ってくれない母が買ってくれたお菓子がいくつか入っていて、あとはバスの回数券を入れるための小さながま口財布が入っていた。

 約一時間ほどの道のりの中、僕は車窓から景色を眺めていた。休日の高速バスは中々に混む。大人たちは一人でバスに乗っている僕が気がかりらしいが、僕はいつも知らんぷりをしていた。時にはお年寄りやおばさんに話しかけられることがあり、僕はその度にお利口さんの口調で「お父さんに会いに行くんです」と答えた。時々、無遠慮なおばさんが子供だからなのか可哀想な僕を勝手に推測し、妄想して同情をしてくる。ある時、そんなおばさんがくれた飴はもらった時から袋の中でべとべとに溶けていて、僕はそれをリュックの中にしまったふりをして、座席の隙間に押し込んだことがあった。おばさんは気づかずに居たと思うが、あれ以来僕は人から飴をもらう度にこの事を思い出すはめになった。

 

 バスが停留所に入ると、降りる前から父は僕が乗っているバスの窓を見渡し、僕を探す。それが僕は嬉しくて、手を振ったり、時には体を屈めて隠れてみたりして遊んだ。沢山の人たちが降りた後で、僕はいつも最後に降りるようにしていた。そうすると、父がバスの出口の前に腕を広げて立っていて、僕はその胸の中に飛び込むことが出来るのだ。それが、嬉しくて仕方がなかった。

 

「元気だったか?」

「うん!」

 

 父は大きな手で僕の頭を優しく撫でた。僕は久しぶりに会った父がいつもいい匂いがしないのが、なんだか嬉しかった。僕に会う日の朝まで働いていたであろう父からする、少しくたびれた匂いが好きだった。父に会ったような気持ちになるのだ。人の記憶として残るものというのは、時に不思議なものだ。

 

「今日はじいちゃんたちに会いに行くぞ」

「うん!」

「お年玉もらおうな」

「お年玉もらえるの!?」

「ああ。来週来てたらもらえなかったかもな」

「よかったぁ」

「はは。餅もあるってよ」

「僕きなこで食べたい!」

「ああ、あるんじゃないか」

 

 年が明けて初めて会いに行ったのもあり、父の実家に行くことになった。いつもは父と動物園に行ったりドライブに連れていってもらったりしている。前回は紅葉を見に行った。その時父は、子供の僕が赤くなった葉っぱを見ても何も楽しくないよなあとこぼしていたが、僕は父の車の助手席に乗るのが好きだったし、確かに紅葉は今住んでいるところでもたくさん見たけど、やはり普段会えない父と見る景色はいつもと違って見えることが多かった。

 

「お父さん。今日も帰りあそこのデパートでラーメン食べる?」

「ん?たまには別の所がいいか?」

「ううん。あそこのラーメンがいい」

「そうか」

 

 バス停から少し離れた駐車場に父はいつも車を停めていて、そこまでの道のりを歩きながら、僕は駅前の大きなデパートを指さして、いつも来た時に確認をしてしまうのだ。お約束であることが、今回も変わらずあることを。お約束なのだけれども、僕はそれがちゃんとあるのか確認しなくては気が済まない子供だったのだ。

父と、あのデパートの地下にある、小さなラーメン店で並んでラーメンを食べる。それが、僕が帰りのバスに乗る前に父と最後にする事だ。いつからか、それがお約束になった。デパートが面している通りにバス停があるので、雨の日も雪の日だってそのデパートに時間までいれば寒い目に合わずに済むのだ。

 

父の実家で過ごすのはあまりこれまでなかった。父の兄家族が祖父母と共に暮らしており、実家に帰った時の父はどこか肩身が狭そうだった。父の兄は父と歳が離れており、まるでオヤジより父親らしいんだと笑いながら聞かせてくれたことがある。僕にとっての祖父はとても優しい人で、父の兄の奥さんも、僕が子供の頃には既に子供たちが親元を離れていたからか、小さかった僕にとても優しく接してくれた。

 

「あらおかえり!」

 

 父方の祖母はよく喋る人だった。朗らかで明るい性格なので、ご近所では知らない人が居ない位で常に輪の中心に居るような人だった。そんな祖母は母の事をとかく気に入っており、離婚をする話を父が告げた時は、理由も聞かず父を平手打ちし今からでも遅くないから土下座して謝って考え直してもらいなさい!離婚なんて止めなさい!と怒鳴ったそうだ。そんな祖母のおかげなのかは分からないが、僕が中学に上がる時に二人は再婚するのだが、離婚の理由は成人した今でも知らない。聞いても教えてくれない。母は笑って「二人とも子供だったのよ」と言うし、父は「俺が子供だったんだよ」と言う。もっと具体的に話してくれと言っても、二人はいつも笑ってはぐらかした。

 

 

 そうして、夕方まで父の実家で過ごした僕と父は、小さなリュックと大きな紙袋に詰め込めるだけのお菓子やおもちゃを持ってバス停の近くにあるデパートの近くまで戻って来た。はぐれないように、人で溢れかえる通りを手を繋いで歩く。父は風呂上りで、石鹸の匂いがした。僕を見送ったら、小さくて狭いアパートに帰るのだ。寂しいだろうなと、子供ながらに思ったが、それを口にしたことは一度もなかった。お別れが寂しいよ、とは言えたのに。お別れするの寂しくない?と聞くのはどうして出来なかったのだろうか。

子供の自分に会って聞くことはできないが、父は僕が来るといつも無理して沢山笑っているように見えた。それは、どんなにやっても満たせない寂しさを紛らわせるようなものだったのかもしれない。父は僕や母と離れて一人で暮らすようになってから、ずっと寂しかったのかもしれない。だから僕との時間をめいっぱい過ごしたいのに、きっと何をしてもどこかが満たされはしても、満足はしなかったのだろう。結局、一日も経たずに別れが来るから。だから、父はいつも笑顔でいたのだろう。寂しくない?なんて、僕に聞かれないように。

 

「チャーシューメンとお子様セットで」

「はいよ」

 

 デパートの地下一階にある小さなラーメン屋は、おじさんが一人で切り盛りしているようで、夕食時だというのに客は僕ら以外には居ない。そのおじさんと父は高校の時の同級生らしい。詳しくは知らないが、仲は悪くないようだ。


「また少し大きくなったな。もうすぐ小学生か」

「ああ。あっという間だよ。ほんと」

 

 会計の時、二人はそんな話をしていた。父は僕に笑みを向けた。デパートの照明のせいか、少し顔色が悪いように見えた。それにラーメン屋のおじさんも気づいたのか、「あんまり働きすぎるなよ」と、店を出ていく父の背中にそう言葉を投げた。父はそれに手を振って応えた。

 

「お父さん」

「ん?」

「……今日はなんか人がいっぱいだね」

「そうだな。お年玉で何か買いにきたんじゃないか?」

 

デパートの親子連れのほとんどは、お父さんとお母さんと子供だ。お母さんが居たらよかったのに。と、内心思っていた事は、きっと父には筒抜けだった事だろう。

 

 まだ時間があったので、デパートの7階に入っている小さなゲームセンターにやって来た。他に、このデパートで僕らが時間を潰すのに適当な場所は無かった。いくつかのクレーンゲームに、レースゲームができるもの、メダルゲームもあった。一通りのゲームはそろっている。僕らの他にも親子連れが何組か居て、休日の最後のお楽しみとでも言わんばかりに、みんな楽しんでいた。

 

「メダルで遊ぶか?」

「んー」

 

 何度か来た事はあったが、クレーンゲームはまだやったことが無かった。これは子供の僕にはとても難しそうで、一回百円という、子供にとっての大金をそれに投げ出す勇気がなかったのだが、今日は少し違った。そう、この時の僕にはお年玉という余裕があった。僕は前から気になっていたそのクレーンゲームの前まで歩いて行った。そこはとあるアニメ映画の登場人物であるヒーローたちのぬいぐるみが景品として置かれているクレーンゲームだった。そのヒーローが出てくる映画は、家族全員がヒーローで、お父さんは最強の力持ち、お母さんは最強の盾を持っていて、お兄ちゃんは最強の速さを、妹は最強の五感を持っていた。家族はバラバラだと最強の力を持っているはずなのに力を生かし切れず、ヒーローとしてはいまいちの活躍しかできない。だけど、四人がひとつになると、誰にも負けない最強のヒーローになれる。僕はこの映画が好きで、彼らのぬいぐるみが欲しかった。とりわけ、今は最強の力持ちである父親のぬいぐるみが欲しかった。そして、父には最強の盾を持つお母さんのぬいぐるみを、持っていて欲しいと思った。

 

「まだお前には難しいんじゃないか?」

 

 父はこの映画をよく知らないみたいだった。確か、僕がこの映画を知ったのは父と母が離婚した後だった。だからこそ、余計に、家族でケンカすることはあっても正義のために団結して闘う映画の中のヒーロー一家が羨ましかったのかもしれない。ケンカをしても、仲直りできたら。できるはずなのに。って、僕は心の中で父と母を思いながらこの映画を見ていた。

 

「このぬいぐるみのキャラが好きなのか?ファミリーヒーローズ?」

「ん……うん」

「これのどのキャラがいいんだ?」

 

 父はどうやら僕には難しいと判断したみたいで、ポケットから財布を取り出すと、「取ってやる。どれだ?」と聞いてくれた。それに僕はドキドキしながら、「ひ……ヒーローパパ」と答えた。

 

「ヒーローパパ?」

「……うん」

 

 俯いた僕を見て、父が何を思ったかは分からない。ただ、「分かった」と答えると、クレーンを動かしたようだ。クレーンはヒーローパパの上半身を軽く持ち上げた後、元の場所に戻ってしまった。

 

「もう一回」

 

 父はまた百円を入れ、クレーンを動かした。今度は途中まで上がったのだが、ヒーローパパはクレーンが一番上まで上がった時の振動で落ちてしまった。

 

「おしい!」

 

 父が、子供の様にそう言った。なんだか、楽しそうな横顔に、僕はホッとした。父はまた、百円を入れてクレーンを動かした。すると、今度はクレーンが良い所でヒーローパパを支えてくれたらしく、ヒーローパパをゲットすることが出来た。これには父も僕も驚いて、二人で向かい合って「すごい!」とか、「やった!」と言った。

 

「ほら」

「ありがとう!」

 

 取り出し口から、逞しい体つきのヒーローパパを父が取り出し、それをすぐに僕に渡してくれた。僕はヒーローパパをぎゅっと抱きしめた。ヒーローパパの少し硬い胸板に顔をうずめながら、もう一度「お父さんありがとう」と言った。父は嬉しそうに笑みを浮かべながら、僕の頭を撫でた。

 

「お、そろそろ時間だ。行くぞ」

「うん」

 

 父が手を差し出したので、僕は父の手を握り、もう片方の手でヒーローパパを抱きしめた。エレベーターに乗り、一階まで降りていく。エレベーターでは喋らなかった。今日、あった事を思い返した。

 いつものようにお喋りだったおばあちゃん。にこにこしてたおじいちゃん。美味しかったお餅。嬉しかったお年玉。街を歩く、たくさんの人。僕のものになった、ヒーローパパ。一緒に帰ろう。って、そう思いながら、ヒーローパパを抱きしめる力を強めた。

 

「寒いなあ」

「お父さん」

「ん?」

「……今度は、ヒーローママと、ヒーローマックスと、ヒーローエマも……とってくれる?」

 

 いつも僕が乗るバスが視界の端っこで、バス停に停まるのが見えた。父は僕の言葉ににこっと笑うと、「任せろ。昔、お母さんによくぬいぐるみ取ってって頼まれたからな。結構得意だから、今度来るときまでに取っておくよ」と言い、僕にバスに乗る様に言った。

 

「気をつけてな。風邪ひくなよ」

「お父さんも!じゃあね!」

「ああ。お母さんによろしく」

「うん」

 

 他のお客さんが乗り込む中、そう言葉を交わした後、僕はバスに乗り込んだ。前から三列目。窓際に座り、気づいた父にヒーローパパを振って見せた。それを見た父はにこにこと、おじいちゃんにどこか似た笑みを浮かべて、僕に手を振った。僕も手を振り返した。少しするとバスは時刻通りに動き出した。バスが見えなくなるまで、父は僕に手を振っていた。だから、僕も見えなくなるまでヒーローパパと一緒に手を振った。バスは空いていた。僕はヒーローパパを隣の席に座らせた。

一緒に、帰ろう。そう、ヒーローパパにそっと呟いた。

 

 

 

 

おしまい